普通の恋

 

Youtube観てたらSPANK HAPPYの新曲のライヴ映像が出てきて。わー、懐かしいと。動いてる菊地さん久々に見ました。9月にアルバムが出るのですって。

 

https://youtu.be/T3rvUTVKjF0

 

キャワ〜。なんかちょっとユルいPerfumeみたいなフリがあったりなんかして。私が追っていた頃のSPANK HAPPYは菊地さん&岩澤瞳さんの時代で、あの頃はもっと生々しいもんがあって「援交じみててキモい」という声もチラホラ目にしたんですけど()、なんだか今回はパフォーマンスにも行き過ぎない洗練さがあって(そして狙った感満載のエロスがあって)、菊地さんもジャージにテンガロンハットかぶってた謎の時期からヒップホップ期を通過して、最近またエレガン(菊地氏的言い回しですな。フランス語「エレガント」の男性形)が舞い戻ってきていて。でも好きな女性のタイプは変わらないんですなあ、オホホ。みたいな感じで。ね。

SPANK HAPPYて、「ポップスは全て同じに聴こえる」と言っていたポップス不感症の菊地さんにとっては、自身の音楽活動の中でも戯れの要素がふんだんにある部分なんじゃないかなと思うんですが、だからこそ自己が開けっぴろげになっていますよね。そこが私は好き。菊地さん頭よいんで、自分のテリトリーだと一片の曇りもなくカッコつけられるというか、「あえてカッコつけない」というカッコつけ。とかも含めて、論理とテクニックとセンス全てでもって完全封鎖できちゃうんですよね。でもなんかSPANK HAPPYには、その完全封鎖感が薄いんですよね。「かわいい女の子とエロいこと歌っちゃったりなんてしちゃおう」的な、俗な感覚を見せ・ちゃおう(これも計画なんでしょうが)、みたいな。そういう時の方が、性分みたいなものが、こちらにも伝わってくるなあというか。自ら枠にハマりに行ってる時のほうがその人自身が浮き出てくるというか。それってなんかいいじゃん〜。と思うんです。でも音はやはり素晴らしくて。そこがまあ凄いんだけど。。

そういう意味でも、SPANK HAPPYはゴリゴリのジャズやファンクで他を圧倒する菊地コンテンツの中でも私は結構リアルに重要な存在だと思うし、何より純粋に聴いてて救われる。。ご本人も岩澤さん時代のSPANK HAPPYに通底するテーマは恋愛や青春ではなく「病」だったと仰っていて、やはりSPANK HAPPYって、菊地さんにとって「そこまで熱烈に好きじゃない分野(ポップス)だからこそ好きにやれる遊び=一種のセラピー」だった、と私は思ってます。そんで人がそういう絶望の中で作ったものは、なぜか鑑賞者に対してもセラピーとして作用するんですよね。不思議なことに。

 

10代後半から20代まで、ずーっと、菊地さんは私の中で真のアイドルだったなあ。だった、というと過去形になってしまうけど、最近は大人になったので、彼の言うことの全部が全部に賛成することはなくなり()、でも私はそういう今の若干冷静になった状態も凄く好きで、本が出たら買うし、音楽も聴いてます。

10代後半はほんとに追っかけ状態で、当時はいろんな大学の授業に潜り込んで講義を聞いていたし...そこで出会った同じくモグリの友達もいたし(確かマキちゃんっていったと思う。元気かな〜?マキちゃん。マキちゃんは音楽より先に『スペインの宇宙食』というエッセイで菊地さんファンになった、ZARD坂井泉水に似てる控えめでかわいい子だった)、そのせいで落とした自分の大学の人類学の単位だとか、あと新宿ピットインの公演の後で急に知り合った男性とご飯だけ食べて帰った謎の時間だとか、DCPRGのチケット取ったにも関わらずあまりに何かに落ち込んでて結局行かなかった謎の日だとか、深夜3時枠のラジオを睡魔と闘いながら必死で聞いたり(当時にラジコがあったらね〜!)とか、T大の駒場の授業のあと偶然菊地さん見かけたんで目で追ってたら構内のフレンチレストランに一人で入っていった(あのレストラン今もあるのかな?大学構内だけど普通に高級なレストランがあるんだよね)場面とか、、あとゲランの香水のね、すんごい香水がキツくて()、大教室なのに教室の中頃まで香水の匂いがハンパなかったりだとか。教科書にサインとか頼むとその教科書にもブシャーって香水かけるもんだから更に匂いキツくなる教室..、、みたいな。色々な場面が思い出される。正にわたしの青春のような感じ。

 

楽しい時も落ち込んでる時も、いつでも彼の言葉を聞いていたので、その習慣はなんだか今も残っていて、ものすごく心が塞ぐと、彼のラジオの録音の断片だとかを、再生して過ごしたりする。たくさん思い出がある。しょうもない思い出がたくさん。しょうもない、しょうもない思い出、、、ほんとにどうでもいいような思い出。でもそういうどうでもいい私の青春を味付けしてくれたのが、菊地さんみたいな、幸せなだけじゃない、でも悲しんでるだけでもない、とても頭がよくて別にイケメンでもないのになんかエロくて、歌上手くもないのにたまに歌ったりしててでもなんかそれも良いような感じもあって、長い長いブログ、青山(飲食店)のケジャン食べながら自撮りする写メ黎明期の姿、ファンが送ってくる長い長いメールに返信する文章の、また長い、長い、長い...そんで最高の、音楽、よく着てたテロテロの花柄のシャツ、MIRROR BALLS、エレガンとドンキホーテとヒップホップと、そしてまたエレガン(上記動画の現SPANK HAPPYで歌う女性のドレス見ました?LVMHのコンペで最優秀賞取った20代後半の新鋭デザイナーのものだと思う...菊地さんは一緒にステージに立つ女性のドレスを選ぶのに官能的な悦びを感じる方のはずなんでこりゃ菊地さんのチョイスじゃないかなあ..それにしても早いというか、さすがランウェイミュージックで一冊本出してるだけあり..)、幼児退行するクールジャパンに相当早くから落胆し見切りをつけ、でもなんだかんだ言って最近はルパンやガンダムOSTもやっちゃってる、それでも音楽だけはやっぱり鉄壁で、しかし誰も論破できない美しく嵌め込まれたレゴブロックの塔のような自己弁護の中で、きっと常に孤独と闘っている、そんな人の言葉と音、私の汚く、とにかく最悪で最悪で、あまりに愚かな若さの上に、そういう人の音楽が鳴っていたことは、私にとっては不幸中の幸い、ミスってばかりの判断の中で、珍しく正しく拾えた蜘蛛の糸の一つだったのでした。

 

 

春から断続的に続く絶望の中、何が自分を救うのか、本気で考えたときーーー私はたった一つだけ、「恋がしたい。」と咄嗟に思いました。(知人はそれを笑ったけれど。)

食欲もなく、他の欲望もなく、希望もなく、興味もなく、そんなときに思うことは、かつて恋とともに与えられた、全てを忘れることを許された、生きることさえも忘れることのできた、あの瞬間のことでした。

でもそんなの、菊地さんがもう何年も何年も前に、既に歌っていたんだよね。

 

 

 

「二人が出会った場所は お洒落な場所じゃなかったの

聞こえてくるよ アーバン・ブルース

21世紀型の アース・ビート・ブルー

今は 退屈と絶望が日課になった 知らぬ同士

でも神様だけは 上の方で見てた」

 

(菊地成孔 feat.岩澤瞳「普通の恋」 )