三枚目のハンカチ

プリンス・フィリップ(Duke of Edinburgh)、薨去ウィンザー城で行われた最期の別れの様子をBBCの中継で見ていた。感染症の拡大するなか、慣例と比べおそらくかなり小規模な式であったと思う。それでも非常に心打たれるものがあった。いかに格式と儀礼がものを言うか、それらの象徴の頂点たる英国王室は、この疫災下であっても彼らの為すべきことを粛々と為した。そう思った。

 

占星術がいうところによると、我々は近年、「風の時代」に突入したという。風。故郷を持たず、永遠に旅を続ける透明な存在。吹き抜け、揺り動かし、過ぎ去り、消える。消えてはまたやってくる。自由。個性。柔軟さ。そういった資質が価値となり、ひいては財産となる時代だそうだ。

 

思えば数年前から私たちは風のようなものを愛した。

 

日々の記録にと書き連ねたブログは、スクロールによって毎秒ごとに視界から消え去るツイッターへ。サブスクリプションに次々とアップされ次々に埋もれる、かつてはCDやレコードであった音楽の儚すぎるひとひら。今日インスタグラムに投稿されたスイーツの画像を、明日誰が覚えているというのだろう?契約を解除すれば跡形も無く画面から消え去る、長たらしい映画たちの、あるいは10分でヌけるアニメーションの、群れ、群れ。エトセトラ、エトセトラ。私たちの愛するほとんどすべて、私たちは風に託した。そしてその選択から漏れたあらゆる小さな愛しきもの、優れたもの、それらはきっとことごとく、"風と共に去"った、のだろう。(そしてスカーレット・オハラは畑に植わった根菜を噛みちぎりこう言った、「私は二度と飢えない」。なんて素晴らしい台詞。私たちは二度と飢えない、音楽にも映画にも言葉にも。)

 

自由、自由、自由。

とにかく自由を愛し、社会規範の見直しを叫び、ともすれば乱雑な革命をも許容できる私たちが、「ジャストサイズ」というファッションを駆逐して数年が経つ。でっかいブラウス、でっかいワイドパンツ、でっかいコート、そして信じられないほどにちっこいバッグ(カブトムシしか入らない)。テロテロの、裾を地面に引き摺るパンツを街なかで見かけて私は何度も振り返り、確認する、現在この国は、深刻な感染症下にあるはずではなかったか?なぜ、若きも大して若くなきも、衣服を使って自らの体表面積を最大限に「拡大」し、目に見えぬウイルスの付着する可能性をじぶんで高めているのか。手のひらより大きく長いフリルをあしらわれた袖。太ももの倍以上に広げられたパンツ。私たちの身体は、いまや実質の約二倍だ。鼻の粘膜すら通り抜ける小さな小さな敵と大戦争をおっぱじめて一年も経つというのに、私たちのファッションはそのミクロな敵に、やさしく門戸を開いている。

体たらく、と言わずして何であろう。非理性、と言わずして何であろう。徹底的に理解したことがある。私たちは我慢ができない。ウイルスに?違う。孤独に。触れられない、触れてはいけないという孤独に。というより、その孤独にふんだんに含まれるエロスに。あるいはタナトスに。死と病に分断される社会のなかで、身体は無意識に一見非合理な拡張を目指す。触れられない。触れたい。抱きしめたい。禁じられた粘膜と粘膜による接触。DNAが叫ぶ、遅すぎると。細胞分裂では遅すぎる。間に合わない。時間がない。「ZARAはどこ?」。

 

接触という新しい規律に、無言で抵抗する街じゅうのドレスの衣擦れ。これは叫びである。ソーシャルディスタンスという新秩序に置き捨てられた身体の叫び。私たちは動物である。動物的でありすぎるほどに、動物であった。

しかしながらこの諦観は、私を前へと、これまでと違う方角へと、進ませる。より動物的でないほうへ。自由気まま、やりたい放題である状態を讃美し、自らすすんで獲物を食い散らかす、それを「自己肯定」と呼ぶ世間から、更に遠くへ。迷いと不決定の、深い叢林へ。若山牧水は言った、「出づるな森を、出づるな森を」。迷いと不決定、不安と自己否定によって、私たちは森の中を彷徨う。しかしここで認めるべきは、その森を、その不自由を拭い去る意志のみを人間性と呼ぶのではなくて、私たちはむしろその迷いの森の中で生きてこそ、人間たり得るというひとつの見地である。

 

獣の振る舞いを、白いレースのハンカチに包んで、バッグに仕舞う。画家で編集者の中原淳一は戦後すぐ、荒廃する日本に生きる女性に向けてこう綴った、「ハンカチは三枚持つこと」。一枚は化粧室で、もう一枚は膝の上で。最後の一枚は自分ではない誰かのために、綺麗なままで持っておくこと。この最後の一枚のハンカチこそ、「獣」ではない「人間」の証である。そして今私たちが褒めそやすタイニー・バッグ、には、三枚のハンカチが果たして入るか、否か。(ジジ・ハディドがもしあのタイニー・バッグの中ハンカチを三枚持っていたら、世界はきっと平和になるだろう。絶対に。)

 

10兆回は言われてきたであろうことを、10兆1回目に繰り返す。世間では悲しみと苦しみとが往来する。その唐突さ、無秩序に、途方に暮れることがある。そんなとき、私たちを救ってきたものはいったい何であったか。10兆回私たちを救ってきたもの---それは「自由」だったか?つまり、どこにでも行ける、何にでもなれる、というような、そういう変幻の幅を担保する「自由」であっただろうか。男物のスウェットを着ても良い、女物の羽織を着ても良い、というような、選択の自由であっただろうか。

私は多少の誤解を招くとしてもこれを宣言したい。どうにもならない究極の悲しみと苦しみのなかで私たちを救ってきたものは、自由ではなく儀礼であった、と。格式と、その振る舞いから湧きおこる尊厳の屋城であった、と。あまりにも動物である私たちの、動物であるゆえの痛みを和らげるものは、水滴を風圧で吹き飛ばすジェットハンドクリーナーではなく、レースの白いハンカチであった。膝の上に広げる美しいナフキンであった。今にも崩れ落ちそうになりながらもプライドだけを背骨に通して何事もない顔で飲む一杯の苦いコーヒー。喪の黒。祖先の形見のパール。または祝儀袋の水引き。誕生日のホールケーキ。赤いカーネーション。チョコレート。各種奉納、豊穣、息災を祈る祭。

あらゆる儀礼が、あらゆる儀式が、あらゆる格式が、私たちの時間を、不安になるほどに続いていく無秩序な時間を、一つの花束にする。悲しみの花束。喜びの花束。その紐帯こそが、儀礼であり、格式である。そして新たな風を、「自由」を最上のものとして崇める私たちが、最も雑に扱う運命であるのも、この儀礼と格式である。

 

私たちは風のように生きていくことはできない。風のようになる、とは、己の存在を、他の存在を、薄弱化させることである。薄弱化したアイデンティティを心底から喜べる人間は未だ少なかろう。私たちは今でさえ「いいね」を受け取って嬉しがっている。写真が盛れたと言って喜び合う。えてして実存在の前提をどこまでも捨てることのできない、存在そのもののエクスタシーの固着物である。

 

 

久しぶりにリボンタイのブラウスに袖を通した。胸でリボンを大きく結ぶのも良いが---首の両側にタイを一周させ、首輪のように覆ったあと、前面に短く戻る端を、ブローチで留めた。自分を躾けるように。お前は人間だ、と、言い聞かせるように。自由と美しさから多くのものを学んだように、理性と忍耐からも、多くを学ばんことを。自分を愛するということを、決して履き違わぬ、よう。