音楽は聴こえるか  伯牙と鍾子期

 

塾講師をしていた頃、漢文を受講する生徒が多くおり、彼らに教えるために、教科書や問題集を片っ端から読んでいたら、「これはいい話だなあ」と思うものがいくつかあった。生徒に教えながら自分の漢文に対する敷居も低くなった。

 

一番好きなのは『捜神記』の天使の話である。

家に帰ろうと馬車を駆っていた主人公の男が、道端で女に出会う。親切心で載せてあげたら、実はその女は天の使いで、今から主人公の男の家を焼きに行くところだったと言う。しかし馬車に載せてくれたことに免じて、今それを告げた、と。男は家を焼かぬよう天使に乞うた。しかしそれは叶わぬと言う。願いは聞き届けられない。必ず家は焼く。私は努めてゆっくりと向かうから、その間に家財を持ってここを去れ、と天使。男は言われるままに行なった。そしてあくる日の日中、男の家から火が出た。

 

この話は高校漢文あたりでは頻出で、問題集を開けばすぐに出てくる。その理由はよくわからないが、甘さと辛さが実にいい塩梅で、人の世の条理が凝縮された話のように感じて、とても好きである。馬車に載せたくらいで男が完全に許されないのも好きだ。しかしそんな許されない男にも、逃げ道が用意されるのがまた好きだ。天の使いを名乗った女は、どういう女なのだろう。男は一体どんな罪を犯したのだろう。救いとは何だろう。逃げ道とは何だろう。理解しようと思えば理解できそうで、理解できないと思えば理解できないような、そんな不思議な話である。

 

さて、今日私が本当に述べたいのはこれとは全く別の作品についてである。この話には数か月前から関心を持っていた。中国の古典は複数の作品にまたがって伝えられていることが多いため、図書館で一度しっかり調べておきたかったのだが、この感染症社会ではなかなかそれもリスキーな行為となってしまった。あくまで個人的な思いを述べるだけに留まるが、記しておきたいと思う。

以下、角川ソフィア文庫『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典  蒙求』より、書き下し文の引用をさせていただく。現代語訳文は私。

 

 

列子に曰く、伯牙(はくが)善く琴を鼓(ひ)き、鍾子期(しょうしき)善く聴く。伯牙琴を鼓き、志、高山に在り。子期曰く、「善きかな、峩峩(がが)乎(こ)として泰山の若(ごと)し。」志、流水に在り。子期曰く、「善きかな、洋洋(ようよう)兮(けい)として江河(こうか)の若し。」伯牙念ずる所、子期必ず之を得(う)。  呂氏春秋に曰く、鍾子期死し、伯牙琴を破り絃(げん)を絶ち、終身復(ま)た琴を鼓(ひ)かず。以為(おも)えらく為に鼓くに足る者無し、と。

―――蒙求「向秀聞笛、伯牙絶絃」

 

列子』によると、伯牙は琴を弾くのが上手く、鍾子期はそれを聴くことが上手かった。伯牙が琴を弾くと、その志は、高山のように高かった。(鍾)子期は言った、「すばらしい、その険しさはまるで泰山のようだ」。伯牙の志が流水にあるときは、子期は言った、「すばらしい、その洋々とした感じはまるで江河のようだ」。伯牙が伝えようとしたことを、子期は必ず理解した。  『呂氏春秋』によると、鍾子期が亡くなったとき、伯牙は自分の琴を壊し弦を切った。そして自身の死が訪れるまで、二度と琴を奏でることはなかった。自分が琴を弾いて聴かせるに足る人間はもういないと、思ったからである。

 

 

 

音楽をめぐる伯牙と鍾子期のエピソードは、親友の意を表す「知音」という二字熟語となって、現在も多く知られている。高校の漢文の教科書にも載っているとネットで読んだが、私の記憶にはない……(忘れているだけと思われる)。

私がこの話を読んだのは、今年の2月か3月ごろであったと思う。読んで一言、ただただ「リアルだな」と思った。そして同時に、この話はあまり多くの人には理解されないだろうな、とも思った。このエピソード「知音」は、「親友」、つまり友情の話として大きく括られて今に至っており、熟語には音楽の意味はスッポリと抜け落ちている。真の友情は得難いもの、教訓もそんな感じだ。

 

一般的な読者にとって、この話で一番感動的なシーンは、おそらくラストにある。伯牙が、亡き友人と過ごした音楽の日々を思い、自ら楽器を絶つ場面。でも私にとって、そのシーンより数倍凄みのある場面は前半にある。「伯牙が音で高山を表現すれば鍾子期はピタリと高山のイメージをキャッチし、伯牙が音で流水を表現すれば鍾子期もピタリと流水のイメージをキャッチした」。ここの部分である。こんなことができる人が、こんな聴力を持つ人が、この世にどれだけいるだろう。そして音楽家がこのような聴力を持った稀有な人間と出逢える幸運は、いったいどれだけのものだろう。伯牙と鍾子期の友情は、単なる「友情」ではない。見えもせず触れもしない媒介物=音楽、を使って、両者が高い精度で会話以上の会話を行っていた、奇跡の話なのだ。そしてそんな奇跡に比べたら、人間同士の一般的な友情など、とんでもなく些細な話である。言葉以上に分かり合えることができる者どうしには、友情なんて尺度は存在しない。お互いの存在が奇跡に近いのだから。代わりが利かないのだから。だからこそ、鍾子期が亡き後、伯牙は、潔く自らの愛した琴を辞めるのだ。「亡き友人を思って」などではない。「亡き奇跡を思って」である。それくらい、音楽家にとっての聴者は、奇跡に近い。特に「本当に音楽を聴くことのできる聴者」は。伯牙と鍾子期の逸話は、音楽の持つ言語的側面を描いたものであり、そしてその言語たる音楽が、この世にいかに存在し難いかを見事に表している。私はこれを「リアル」と感じたのはそのためである。

 

 

大昔は実際に楽器を奏でることこそが音楽であったが、私たちは身近に楽器を得意とする人間がいなくとも、日々音楽を享受している。そして「感動した」だの「最高」だの、「前より良くなった」だの、様々なコメントをする。私たちは非言語的なセンセーショナルな何かを、音楽を享受することだと、ひたすら思っている。それは音楽家も同じだ。聴者にとって自らの音楽が何かしらのポジティブな力、あらゆる感動や興奮、モチベーションとなってくれたら御の字だ、と思っているだろう。実際、それで音楽は回る。全く問題はない。しかし、自分は音楽家のイメージした高山を、高山として、ずばり言い当てることは出来るか。流水のイメージを流水のイメージとして、捉えることはできるか。たとえば誰かが「あれは河だね」と言った文言を聞いて「うむ、河か」と伝達する精度でもって、音楽を聴くことはできているか。そういう音楽の聴き方を、一度でも考えたり、実際に遭遇したりしたことは、あるか。そういった音楽の在り方を、一度でも、願ったことはあるか。

 

言葉を理解することとは、相手が「河」と口にしたら、「河」というイメージをキャッチすることである。それがどんな河であるかまでは個人の経験によるが、とにかく「河」という言葉には「河らしきもの」をイメージさせる力があり、その力を己の力で以って受け取ることを、私たちは会話と呼ぶ。または、理解、と呼ぶ。「河」という言葉に対して、「山」をイメージすることは、伝達としては誤謬がある。「河」と言ってはしょっちゅう「山」と勘違いされる言語は、言語として何らかの改善措置が必要だと、誰もが思うだろう。

ならば音楽は。音楽はどうだろう。私たちは「河」を聴いているのに「山」と捉えてはばからない。そして「河」を「山」と捉えては、その悠大さに勝手に感動している。なぜなら、感動することこそが音楽の第一義だから。センセーショナルであること。そうであれば、山だろうと河だろうと、何でも良い。実際、私たちは音楽から「河」を判別することはできない。許し合っている。理解できないことを。勘違いし合うことを。それが私たちの言う、音楽の力である。そしてその大ざっぱな、なんでもござれな、懐の深い音楽の力は―――煽動へと発展する。音楽が戦争や闘争、あらゆるアジテーションの力を持つのは、音楽家と聴者が、お互いの無理解を無限に許し合った結果である。先述した鍾子期のように、河を河と、山を山と聴き分ける耳を万人が持っているならば、まず音楽は煽動の力を持ったはずがない。

 

私たちは何を聴いているのだろう。何を「聴けて」いるのだろう。私たちは音楽を聴いているか。音楽は、本当に聴こえているか。紀元前400年ごろに描かれた、今から約2500年を隔てた物語が、そう問いかけてくる。